COLUMN 「どう生きるか」を考える

think about how you live

在宅医療では、病院での医師と患者の関係とはまるで違う部分があります。 私は、かつて、救命救急や手術など「病気やけがを治すことが最優先の医療」の真っただ中にいました。急性期医療です。治療が終って、患者さんと回復を一緒に喜ぶ時間が、喜びを最も実感できるときでした。病気や怪我。そんな困難や悲しみを通して、人は健康な時には気づかない大切なものに気が付きます。しかし、治療を終えた後で様々な事情で、通院が難しい状況があるのも現実です。その現実をたくさん、目の当たりにしてきました。「何か医師としてできることはないか」それが、在宅医療に関わるきっかけになりました。

厚生労働省の統計によれば、戦後間もなくの昭和26年は約80%の方が自宅で亡くなっていました。
病院や診療所で亡くなる方は僅か12%に過ぎませんでした。
その後、自宅で亡くなる方が減り、病院で亡くなる方が増え、昭和51年で半々になりました。そして、現在は病院や診療所で亡くなる方が約80%を占め、特別養護老人ホームを含む自宅で亡くなる方は10%へと減少しています。
近年「死ぬ場所が選べるとすれば、どこで看取られたいですか」というアンケート調査が多く行われています。その多くの調査で、病院ではなく最期まで住み慣れた場所で過ごしたいと希望する方が多いという結果が得られています。

在宅医療では、医師が患者様のお宅に出向きます。家の中に入ると、その人がどんな暮らしをしているのか、どんな家族関係なのか。それが見えてきます。患者様と医師というだけではない。ヒトとヒトが、ヒトがヒトとして向き合うことが可能になるからではないでしょうか。
さらに、在宅医療は、時に人生の最期という、本人や家族にとって、ものすごく大事な時間に関わることも少なくない医療です。
助けを求めている人が目の前にいる。自分にできることがあるなら全力で手を差し伸べる。「在宅医療をやっていて本当によかった」
患者さんたちが教えてくれたことがたくさんあります。「残された時間を大切にしながら、住み慣れた場所で最期を迎えるという選択肢があっていい」在宅医療を選択して最期を迎えた方々から、そう教えてもらったように感じています。

人生の最期に北海道旅行に行く。ご家族と一緒に人工呼吸器をつけたまま北海道旅行に行かれた方がいます。
大好きなお酒を飲みながら過ごされた方もいます。
「アイスクリームがどうしても食べたい」そんな電話をもらい、アイスクリームを持って往診に行ったこともあります。
「冷房がない!暑いよ!!どうにかしてくれ!」と連絡があり、冷風機を運んで行ったこともあります。あのときの患者さんの笑顔…。
息子さんと二人暮らしの寝たきりの患者さん。その息子さんが進行がんの診断を受けた春、一緒に見た桜。

数えきれない思い出のアルバムが、心にあります。私は、これまで500人以上の患者さんを看取ってきました。そこで目の当たりにしたものは、大切な人たちと好きな場所に行き、好きなように過ごすという最期でした。

急速に高齢化が進む日本。在宅医療や在宅介護へのニーズが高まっています。しかし、まだまだ医療体制や人員確保が追い付かない現実もあります。これからの日本では、地域での支え合いが不可欠です。ケアマネージャーやヘルパー、訪問看護師や薬剤師、歯科医師や栄養士、理学療法士や鍼灸マッサージ師。多職種間での相互協力、ネットワークが欠かせないものになると思います。
在宅医療における終末期医療では、みんなの力が集結しないと、患者さんを慣れ親しんだご自宅で最期まで看取ることはできません。非常に多くの職種の方の手助けが必要なのです。また、ご家族のいらっしゃる方はご家族の支えが必要となります。病気になっても、安心して住み慣れた生活の場で療養をする。そのために何よりも大切なこと。どのような生活を送るかについて、ご本人の選択だけではなく、ご本人・ご家族の心構えです。

自分の人生が、あとどのぐらい時間が残っているか。それは誰にもわかりません。だからこそ、今この瞬間や、一日一日を大切に過ごそうと、私も思うようになりました。
死について考えることは、「どう生きるか」を考えることに、他なりません。
最期の瞬間まで、自分の人生を誠実に生き抜いた人たちにそう教えてもらったような気がしています。

これからも、「私を支えてくれるすべての皆さまへの感謝」を胸に、医師として地域に大きな安心を届けるにはどうすればいいか考えながら、1日1日を大切に歩んでいきたいと思っています。